熟睡した人々の姿を端正なポートレートで捉えた、人間の哀しみと尊厳を静かに浮かび上がらせる写真集
馬場は、「眠り」というその不可視の領域にひそかに忍び込む。
もはや誰のものでもなくなった顔、目の前の私に向けられているわけでもない顔、しかし同時に確かに私の目の前にある他ない顔。
息を潜めて見つめカメラを向ける写真家は、眠る人と同じく世界にたったひとりで放り出されている。
目の前の被写体と共有できるものは何ひとつないのだから。
そもそも共有できるものなど、はたして世界にあっただろうか。「私」と「あの人」を支える意味の世界は、昼間におけるあらゆる了解は、目の前で静かに崩れ去っていく。見ることとは、それほど絶望的な行為である。それでもなお、彼女は見続けるであろう。
夜明け前、うっすらと湿った静粛のなかで、眠りにおちたあの人を、こうして見つめることによってしか、私とあの人が「共にある」ことはありえないのだから。閉じられたまぶたの表と裏で、別々の夢を見、別々の感情を抱え、別々の体を生きる。
「私」と「あの人」を引き離し、かつ結びつける、ただひとつの交点としての、顔。これらの写真が抗しがたい甘美さを宿しているとすれば、それは、顔がこのような「誰のものでもないもの」として、つまりは顔そのものとして、今まさに私たちの目の前に立ち現れているからに他ならない。
「ABSENCE」 あとがきより 竹内万里子(写真評論家) |